「100店舗100色」今まで数百店舗のお店を手掛けてきましたが、全て全く違う顔をしています。業態業種をは問わず、立地条件、僕の経験、何よりオーナーの直感をデザインに活かしています。BtoBでもBtoCでも関係なく臨んでいる僕たちのデザインは、変幻自在で可能性は無限です。
「成功してもらうこと」が一番大切です。もちろん、後悔させないことも重要視しています。クライアントの意見は当然聞きますが、どれだけ自分の意見を言えるかも重要と考えています。逆に意見を押し通すこともしません。
クライアントと相談しながら決めていくスタイルです。
徹底的にクライアントのニーズにコミットしていく。
お店は、僕の作品ではなくクライアントの大切なお店ですから。
勇気・希望・誠実さ・家族・マーキュリー です
勉強は苦手でしたね。でも母親は学校の先生というパターン。笑本を読むのも苦手。落ち着きは無かった(笑)絵も習字もそんなに好きではありませんでした。上手かったけど。
夢は何だろう。。。。お金持ち。いや、違う。でも、友達の大きな家に行ったときは羨ましかった。あの記憶はずっと覚えています。
山や川に囲まれた宍粟郡(宍粟市)生まれなので外で遊びまわる幼少期でした。ゲームや玩具が無くても土や石や棒がおもちゃになる。川には魚がいて山にはカブトムシがいて。あの頃の経験が今も何か活かされているのかもしれません。
入社した時はこれといって何もなく、ただ単純に仕事をこなしていました。当時はまだ若く仕事への責任も分かっていなかったし、仕事自体に重きを置いていなかったように思います。会社を父親から引き継いだ後、それまでのクライアントは次第に離れて行きました。大きな転機になったのは、当時大手の下請けをしていましたが、全て手を切ったことです。
なんだろう・・・自分でも凄い決断をしたと思いますが、安定した収入が見込める部門を切ったことは大きかった。もちろん、経営は苦しくなりましたが。自分の力を過信したカッコつけている自分もいるし、後には引き返せない強い決断を始めてした時だっと思います。
とうぜん、仕事も入ってこないし当てもない。悲惨な状況でした。数少ない当時の顧客から小さな仕事をいただいた時は本当に嬉しかった。元請け会社となり、小さな仕事でも下請けでは味わえないやりがいがありました。
そして、出会いに恵まれた時期でもありました。
一人、また一人と、優秀な仕事人との出会いは大きかった。僕の方から頼み込み、口説き落として入社してもらいすこしづつ力をつけていきました。自信はある。あとは仲間だけでしたから、躊躇なく迎えることができました。
デザイン+設計士+施工管理+現場管理+設備担当+経理総務
小さな会社ですが優秀な人材は揃いました。
ここから、逆襲の始まりです。
加古川の親友社長が出店した大型焼肉店の大成功です。言い切れます。当時、西脇に出店した、みのり庵は爆発的に成功しました。
その後も順調に新しい依頼に繋がりました。あと、僕自身が初めて、デザインから設計施工担当まで務めた美容室「ZESPA」が大きく話題になった事も自信になりました。そして、美容師という職業の多くを学ばせていただきました。
それ以来、独立開業の美容室は20店舗以上デザインさせていただきましたが成功率は100%です。
うーん。面白いから。かなと。設計士やデザイナーさんは固いとか近寄りがたいイメージを持たれていますが僕らは柔らかい。偉そうには絶対にしていません。
綺麗なお店や凝ったお店や、デザインバリバリのお店なんて簡単なんです。あくまでも、超有名デザイナーは別ですよ。笑
ある程度の予算あればすぐに高級店はデザインできます。
でも、独立開業店は限られた予算の中で最高のお店を創るんです。今でいう、自分史上最高ですね。僕のクライアントのお店は超高級店は少ないので、独立開業されるクライアントにとっては落ち着くデザイン会社なのかもしれませんね。
素材に手を加えて、高級な技術や材料を使わなくても流行る空気は流せると考えています。それが得意な集団がマーキュリーです。手掛けた店舗数と業種数が物語っています。
実際、僕の経験上では、お金かけなくても明るく温かいお店は流行っているなあと、感じています。
これも難しいです。フェイスブックで繋がったり、知っていただいたオーナー様は本当に多いと思います。
僕のありのままをUPしておりますので、興味を持ってくださり、依頼に繋がりました。姫路ではセレクトショップのワンダリングスターさん、どろ焼きの喃風さん、新進気鋭一意専心さん、神崎郡の大繁盛店の 居酒屋くろすけさん、三木市の芋ケーキとペンギンさんで有名なバランタインさん神戸市須磨区の超有名店パン工房ファンベックさん、明石市の人気美容室SEA A KA さん加古川市で有名な大濵海苔店さん、神戸牛のヒライさんは、すでに仲間と言える間柄です。etc。。。。本当に多くの顧客様にご指名を頂いて感謝しています。
フルオーダーのデザイン住宅への進出は、当時そろそろ自分の家を考えていたときにそれまでマンション派だった自分が、たまたま通りかかった道沿いにビビットきた土地に出会ったしまったことから始まります。偶然にも知り合いの不動産屋さんの土地だったためにスムーズに手に入れることが出来ました。
場所的にも目立つので、自分が住む家ではなく、マーキュリーのモデルハウスになればいいか。。。というあいまいな感じでデザインをスタートしていきました。だから外観にマーキュリーのロゴが入っています笑それもネオンに照らされてる会社のロゴです笑
自分で自分の家を一生懸命考えて、あーでもないこーでもないと悩みながらデザインが完成して、実際に工事が始まりたくさんの人の手によってたった一つに家がカタチになっていく。あの感動は一生忘れることが出来ないでしょうね。
そんな感情が芽生えていつしか、看板つきのこの家にやっぱり僕が住むことにしました。好きになりすぎてしまったわけです。笑
これから家を建てるお客様には、大変だと思いますが家作りに興味をもっていただきたい。業者に任せっきりではなく、家作りに参加してどんどん自分の意見を言った方がいい。僕らと共に創り上げて、生涯忘れる事のない感動を味わってほしいと強く思います。
マーキュリーで家を建てるお客様は全員がこだわりをお持ちになっています。最初は興味なくても、僕らが芽生えさせます。
そんなこだわりいっぱいのフルオーダーハウスですので、年間に2.3棟が限界なんです。設計にも工事にもほかの家と比べると時間がかかります。僕が求めているのは、棟数や売り上げではなく、マーキュリーを選んでくれたお客様との共同作業と達成感です。ここは変えたくないと思っています。
「店舗デザイン会社が作る家」とは??ありきたりじゃなく、奇抜や綺麗とかでもなく、ただ単純に好きな家です。そこにデザインを足して周りから人気の出る家を念頭に置いてデザインしています。
家に居ながら、リゾートホテルのあの空間を作り、寛いでいただいたり大好きなカフェ空間をLDKに再現してそこでお料理をしていただいたり。;和室は茶室でもいいんです。トイレがレストルームでもいいんです。「好きな空間が家にある。」それがコンセプトです
そうですね、マーキュリーがこれから向かう先は大雑把にいってしまえば、あと何人かスタッフを加えてみたい社員か、外注のサポートスタッフか、僕と同じようなタイプの協力会社か。
仕事の質を落とさず、効率化を図る。
数年前に比べたら、休みも多くなっていますが、それでも少ないので。もっとメリハリ付けた正常な会社にしていきたいと考えています。
会社をここまで盛り上げてくれた、一生懸命に働いてくれる社員にもっと恩返しをしたいと思っています。
家族を大切にしてもらいたい。SDGsへの意識ももちろん高めており、持続可能、いわゆるここで働き続けることのできるサステナビリティな会社を目指しています。
それには、懸命に働いて見合ったお給料をもらい自分や家族の時間に有効に使ってもらえればと思います。
まあ、僕もここ三年くらいです。ようやく人間らしい時間が持てるようになったのは笑
まだまだです。
はい、ここからですが、もっとマーキュリーを知っていただきたいと考えています。冷静に見て、どんな会社にも負けていないと思います。勝ち負けじゃないけど勝ち続けたい。
そんな強い思いを持ちながら、これからもたくさんのクライアントの想いをデザインしたいと思います
株式会社マーキュリー 代表取締役社長
1975年兵庫県宍粟市に生まれ現在姫路市在住。
大阪、神戸で勤務後、姫路市で父親の経営するマーキュリーに入社。当時、流行っていたカフェ&バーや雑貨屋さん美容室をオーナーと共同作業で多数手がけて経験を積む。2012年に株式会社マーキュリー 代表取締役就任。現在は独立開業店の他、どろ焼きの喃風グループや多種多様のお店を展開する一意専心グループなど多くの有名店からの指名依頼を受ける。